6月18日「非戦平和を願う宗教者の会」
先月18日に、「非戦・平和を願う宗教者アピール」が下通りでありました。
今回の活動は、ビラ配りと署名運動でした。
アピールボードには、熊本大空襲の生々しい写真に、非戦を訴えるメッセージを掲げました。「相手に敵意を示さなければ、戦争は起こらない」
実は当寺院も戦時中に損壊しており、そのことが原因で戦後しばらくして寺基を移しています。おそらくは熊本空襲ことだと思われる。
未だ終わりなき戦い「イラク戦争」
イスラムの子供たちだって、サッカーが大好き、サッカー選手になりたいって子どもの足が地雷や襲撃で吹っ飛ばされる。
たくさんの子供たちが、ウラン弾で被爆して醜い姿で、死んで逝く。その時の親の気持ち‥どれだけ耐え難いものであるか。
広島平和記念公園の碑文「過ちは繰り返しませぬから」という有名な言葉がある。良くも悪くも議論される言葉だ。
ここでは主語を持たないことが、非常に重要な意味をなしている。誰のせい‥と、責任に言及しない。
戦争に正義も悪もないということは今更議論の余地もないほど誰もがわかりきってることです。にもかかわらず善悪の二元論を決めつけたがる人間。
戦争は愚かな凡夫しかできません。愚かな人間しかできません。愚かな我々しかできません。すべて人間のエゴです。宗教戦争とかいいますが、宗教が戦争しているわけではない。宗教というモノまでも利用する人間の仕業です。
私の愚かさを知る、私の怖さを知る、そこに気付き、そこから出発しないと永遠に戦争は解決できません。
最後に、「過ちは繰り返しませぬから」の碑文の言葉をつくられた雑賀氏は、英文訳では主語をのせている。その主語とは「We」である。「We」は、私であり、あなたであり、みんなであり、世界人類である。さらに過去の人類であり、現在の人類であり、未来の人類である。
「相手に敵意を示さなければ、戦争は起こらない」すべては、世界人類一人一人の「私」が変われば戦争はおきません。それを「人間にはどうせ無理だ…」と開き直って、なにも起さずに諦めてしまえば、宗教の役目とは何であろうか。宗教の必要性がなくなり、宗教はいらくなるのではないでしょうか。
「爆弾じゃなくて、ご飯がいい…
地雷を作ったえらい人は、子どもたちの足、吹き飛ばしたこと、知っているんやろか
地雷を埋めた兵隊は、歩けないことの、本当の悔しさ、知っているんやろか
爆弾じゃなくて、ご飯がいい…」
(宇治共同作業所のびのび班)『へいわのうた』
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